パズルのピースが降ってきた 〜奇跡体験アンビリバボー 日本理化学工業の特集を見て思ったこと〜

中島みゆきさんの「幸せ」という歌に、

幸せになる道には 二つある
一つ目は 願い事 うまく叶うこと
幸せになる道には 二つある
もう一つは 願いなんて 捨ててしまうこと

という歌詞がある。
最近、ふとした時にこのフレーズが頭の中で再生される。

詳しいことは割愛するけど、周りの友人達と話をしていると、人生を長い目で見て足元を固めようとしている人がたくさんいて、私だけ、責任はないけど言うことはいっちょまえな学生みたいなノリで過ごしているような気がして。
それで「このまま、やりたいことばかり追い求めていいのかな?」と考えるようになった。

今の仕事は好きだし、職場もすごく働きやすい環境で感謝している。
でも、書く仕事だけやってて給料アップは望めるのかとか、A型事業所以外でも認められたいとか、そういう贅沢な欲求も出て来てしまう。

モヤモヤした気持ちを抱えたまま、モチベーションが下がって仕事に支障をきたすと一緒に働いている人に迷惑がかかるから、事業所の職員にもこの気持ちを正直に伝えた。
明確な解決策は出てないけど、理解してもらえた。

そんなこんなで、いろいろ考えていたところ、働き方・生き方に関する話がここ数日間でたくさん入ってきた。

まるで、パズルのピースが一度に大量に降って来て、
「パズルを完成させてごらん」
と言われているような感覚。
必要なピースなのは確かだけど、はまる場所は手探りで探すしかない。

今回はその中で、特にいろいろ考えさせられたテレビ番組の感想を書こうと思う。

奇跡体験アンビリバボー「理化学工業」の特集

テレビのチャンネルを変えたら、奇跡体験アンビリバボーをやっていて、養護学校の先生が、ある企業に「知的障害を持つ生徒達に、働くという経験をさせてもらえないか」と一生懸命頼み込む場面が流れていた。
正直、アンビリバボーの障害者特集って、見るのが辛いものも多いんだけど、今回はなぜか、見てみたいと思った。

あらすじ

物語は、「日本理化学工業」という、チョークを作っている会社が、養護学校の先生の頼みで知的障害を持つ女子生徒達の職場実習を受け入れるところから始まる。
当時社長を務めていた大山泰弘さんは、女子生徒達に実習だけをさせるつもりだったが、社員達の強い希望により、生徒達をそのまま雇うことに。

知的障害を持つ従業員達は、健気に働くし、何気ない褒め言葉にもすごく喜ぶ。
けれど、仕事を教えるのはなかなか大変で、ミスが続く場合などは注意しないといけない場面も出て来る。
イライラして「もう明日から会社に来なくていいよ」と言うと、
彼女達は必死に「嫌だ!明日も来る!!」と訴える。
この時社長は、「なぜこの子達は、こんな辛い思いをしてまで働きたいのか。施設で大事にされていた方が幸せなんじゃないか?」と考えていて、障害者を働かせることに罪悪感を持っていた。
そこで、お寺のお坊さんに相談してみると、お坊さんは次のような話をした。

「人の究極の幸せとは、人に愛されること。人にほめられること。人の役にたつこと。人から必要とされること。障害を持つ方達が、人に必要とされたいと願うのは、当然のことです」

お坊さんの話を聞いて、彼女達の職場での様子を思い返す。
彼女達は、始業時間より1時間も早く会社に来てしまったり、
何気ない褒め言葉にすごく喜んだりしていた。
そして、仕事を失敗して怒られて「もう明日から来なくていい」と言われた時、すごく嫌がっていた。
それは、健常者にとっては当たり前の「働く」ということ自体が、彼女達にとっては大きな喜びになっていたことを物語っていた。
社長は、彼女達と一緒に働く決心をする。

…ここから、新たに別の知的障害者を雇ったり、仕事の教え方や健常者の社員との折り合いのつけ方に悪戦苦闘したりしながら、会社が成功するまでのドラマが展開される。

特集を見て思ったこと

話の中で「同情心」とか、「障害者を働かせることへの罪悪感」というキーワードが出てきて、「結構昔の話なのかな?」と思っていたら、やっぱりそうだった。
職場実習をきっかけに知的障害者を雇い始めたのが、1960年ごろ。
今からなんと60年近くも前の話。
きっと今よりも、障害者は不幸な存在とか、人様に迷惑をかけるだけの存在っていう偏見も根強かっただろうし、社長が「最初は同情心から知的障害者を雇った」と話すのも納得。
逆に言えば、そんな時代に、社会で働きたいと願う障害者の気持ちを尊重して、コストをかけて雇い続けるのには相当な勇気と忍耐力が必要だったはず。

また、
「この子達は、このままだと働くと言うことを知らずに一生を終えることになるから、せめて働くと言う経験だけでもさせてもらえないか」
と頼み込んだ先生も、
実習生の女の子達を雇って欲しいと直談判した社員も、
社長に「幸せ」についての話をしたお坊さんも、
会社の運命を変えるのに一役買っている。

私には、社長に怒られても「嫌だ!明日も来る!!」と必死に訴えた知的障害者達の気持ちが痛いほど分かるし、お坊さんが話していたことにも共感した。
仮に、施設で暮らして最低限の生活は保障されたとしても、社会での居場所を強く求める気持ちや、誰かに必要とされたいと願う気持ちは満たされない。(もちろん、施設で暮らしたり、やむを得ず100%社会保障で生きるという生き方は責められるべきではないと思うけど)

特集を見て思ったことはいろいろあったけれど、私が抱えているモヤモヤや不安も、結局は承認欲求によるところが大きいのかもしれないと思った。

まとめ

今度降ってきたピースをどこにはめればいいのかはまだ分からないけど、幸せというパズルの一部ということは、確か。
完成させられるだろうか。
不安だけど、楽しみ。

[参考]
日本理化学工業さんのページ
http://www.rikagaku.co.jp/handicapped/chairperson.php

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