人間関係について、鈍感で冷めている私があれこれ考えてみた

最初にお断りしておきます。
今回は結構毒吐きます(笑)

感覚のズレ

私は、他の人が「あの人のああいうところが嫌だ」と言っているのを聞いても今ひとつ理解できないことがある。

例えば、
「あの人のこの言葉が引っかかる。本当はこんな意味なんじゃないか」
とか言われても
「あ・・・言われてみれば」
となったりする。
そもそもその「あの言葉」自体を大して聞いていないことも(笑)

他にも、
「本当は○○なのに。何で気づいてくれないんだろう」
とか。

そう言われても、その人はあなたじゃないから言わないとわからないし、人に察することを要求するより直接言ったほうが早いんじゃないかと思ったりする。
それでも伝わらないなら悩んでも仕方ない。

私はたぶん、鈍感で少し冷めた人間なんだと思う。

もちろん、鈍感だからって傷つかないわけじゃないし、はっきりと不快に感じることがあったら周りに相談することもある。
たまには苦手な人もいるし、そういう人からは支障がない限り距離を置いてきた。

でも、人間関係に悩みやすい人って、自分が傷ついてもちゃんと人と向き合おうとしていて、すごく繊細ですごく熱い人なんだと思う。
同じ感覚は共有できなくても、繊細な人も熱い人も好き。
そういう人に憧れている面もあると思う。

人間関係に対するこの温度差はなんだろう?とずっと考えていたけど、
もともとの性格と、自分が育った環境に関係があるんじゃないかという説に行き着いた。

親の影響

いつからかは分からないけど、
「YesとNoははっきりしなさい」
と母に言われていた。
日本社会ではものをはっきり言うことが好まれない場面も多いから言い方は考えないといけないけど、
「体調が悪いとか、どこが痛いとか、できるとかできないとか、言わないとわからないよ」
と教えられていた。

学校生活

このブログにも何度か書いているけど、私は幼稚園から高校までを盲学校で過ごしてきた。
小学校から中学校の途中までは、私の学年の生徒は私を入れてなんと二人。
中学校の途中から徐々にクラスメイトは増えたものの、普通学校に比べるとすごい少人数。

少人数の学校にいた話をすると、
「人数が少ないとみんな顔見知りで仲良くなれるね」
なんて言われたりする。
確かにそういう側面もあるけど、喧嘩した時とか、クラス内の誰かの機嫌が悪い時とかものすごく気まずい。

もちろん、先生との距離も近くて、
褒めてもらえた時や認めてもらえた時は嬉しいけど、怒られたり嫌味を言われたりした時もダイレクトに伝わる。

また、盲学校はいろんな年代の人が集まっているので、中には今思えば変な大人もいて、そういう人ともうまくやっていかないといけない場面もあった。
なので、いくら鈍感な私も多少は大人の顔色をうかがうようになっていたと思う。

大きくなって知恵がついてくると、少人数だと噂も広まりやすくてうっかり愚痴もこぼせないことに気づく。(それでも余計なことをベラベラしゃべってしまっていたけど)

本当、自分の立場が悪い時は一クラスに何十人も生徒がいる学校がうらやましくなった。
一クラスに何十人、学校に何百人も人がいれば、誰かと喧嘩しても別の誰かのところに逃げられるし、委員会活動もあんまり回って来なさそうだし、多少サボってもバレなさそう(笑)と、子供の私は考えていた。
……こんな性根だからよく怒られてたのか。

もちろん、たくさん人がいたって、その中のボスにいじめられたり集団の中で孤立してしまったりする問題もあることはニュースやネットを見て認識していたけど、それでも大人数ならもう少し楽かもなーと思える場面は多かった。

疑問を持った

盲学校高等部を卒業後大学に進学して、初めて同年代の人が何百人といる中で生活した。
大勢の中での人間関係は、子供の頃想像していたほどは甘くなかったけど、親や先生が言っていたほど厳しいとも思わなかった。
それは、視覚障害者をサポートする体制が整っていて、環境に恵まれていたことが大きかったと思うけど、
「案外世の中って、その辺で言われてるほど厳しい人ばっかりでもないんじゃない?」
という疑問を持つようになった。

結局、受け入れて生きてる

中高生の時は自分の能天気さや鈍感さ、少し冷めている部分が嫌だったし、今も周りとの感覚のズレに申し訳なさを感じることもあるけど、
ある時から「それって仕方なくない?」と思うようになった。

人の話って実は聞かなくていいことも多いんじゃないか。
全部まともに受け取ってたら心が持たないんじゃないか。
他人の本心なんて深く探るだけ無駄なんじゃないか。

そんな疑問を持たないとやってられないことに気付いた。

それには、これまでに出会った人の影響もあるし、高校生の時に読んだ「十二国記」という小説の影響もあると思う。(その小説については、いつか読書感想文をブログにあげたい)
なんだかんだで最近は「きっと今までの生活環境で得た生きる知恵なんだ」と開き直って受け入れている。

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