この春から、福祉を学びます

近い将来、遠い将来、考えないといけないことは山ほどあるけど、今の自分は何をしたいのかを考えて今年の春から福祉を学ぶことにしました。

社会福祉士の資格取得を目指せる大学の通信教育課程に2年次編入します。
本当は、前に大学生をしていた時から福祉関係に興味はありました。
でも、その時は学部の転入はせず、一度入った学部学科を卒業することにしました。
社会人になった後も、ときどき福祉関係の学校のことや、社会福祉士、介護福祉士などの資格について調べていて、お金や仕事などの関係で何年も「興味はあるけど、やっぱりいいや」と思い続けてきたけど、ようやく今年決心がついたんです。

福祉を学んで、将来に活かしたい理由

私が福祉の知識を身につけたい、その知識を活かしたいと思う理由は、全部中途半端で胸を張れるものを何も持ってないから自信がほしい、ということもあるけど、
谷山浩子さんの歌の「よその子」みたいな理由が大きいです。

まず「よその子」について私の解釈を交えて紹介しますね。
「よその子」という歌の歌詞は、ある1人の子供と、子供を見ている大きな存在(宇宙とか神様とか)の視点でのストーリーになっています。
最初は大きな存在の視点で、子供のことは「きみ」と表されています。
帰る家もなく、親からも見捨てられたきみは、温かい家庭を次々に覗き込みながら彷徨う。
どこにいても自分はよその子でしかないことに絶望して、「こんな、自分のために窓を開けてくれない家ばかりの街なんか、夕焼けに焼かれてしまえばいい」と言って泣く。

「きみ」の悲しみが一通り歌われた後、歌は子供の視点になります。
よその子は、「それでも僕は、すべての人の幸せを祈れるくらい強い心を持ちたい」と願います。

最後はまた大きな存在の視点になって、強い心を持ちたいと願うきみに語りかけ、抱きしめます。

「きみを焦がす熱い炎は いつか温かな光になる」と。

きみはよその子 宇宙の子供
全ての家の 窓を開くよ
きみはよその子 わたしの子供
閉ざした心の 窓を開くよ
(よその子の歌詞より)

私には、家族も友達もいます。
でも、疎外感を感じることは多くて。
それが普通で慣れていて。

慣れているはずなのに、ある時ふと自分の中のよその子が顔を出し、
「寂しいよ悲しいよ、こんな世界なくなればいい」と泣いたり、
「たくさん寂しい、悲しいを感じたからこそできることがきっとあるよ!」
と笑いかけてきたりするんです。
宇宙も神様もよくわからないけど、とりあえず大きな存在はあると思います。

おこがましいかもしれないけど、閉ざした心の窓を開くお手伝いができる人、そんな人を目指せたらいいなと思っています。

書いてるうちに話がとっ散らかってしまいましたが、自分の経験だけでは視野が狭くなってしまうから知識もつけて、困ってる人の役に立てたらいいな、ということ。

そして、資格があればなんでもうまくいくわけではないけど、
客観的な指標として大きいはずだから。
だから、福祉を学んで、尚且つ資格取得を目指すことにしました。

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