心に○○を住まわせよう

言い方に気をつけないと、理不尽な目に遭ってる人を傷つける可能性が高いと思って、今まで書こうか悩んでいた話。
考えがうまくまとまったので書いてみます。

先に弁解しておくと、今いじめられている人、歩いている時に見ず知らずの他人から理不尽な暴言や暴力、怪しい勧誘を受けやすい人について、被害を受ける側の自己責任と言ってるのではありません。
暴力も暴言もセクハラも差別も、やるほうに問題があるというのは間違いないです。
見ず知らずの他人に暴力や暴言、痴漢する人間なんてウイルスやバイ菌みたいなもん。
うーん、ウイルスにも失礼かな…。やつらは生きる手段として人に取り憑いてるから💦笑

ただ、もし風邪を引きやすい、病気にかかりやすい体質みたいに他人からの理不尽な攻撃に遭いやすい体質があるのだとしたら。
その確率を下げるには?と自分なりに考えてみました。

私は、理不尽な嫌がらせには遭いにくい方だと思っています。
だけど、体が丈夫な人が稀に風邪をひくこともあるみたいに、私も今後そういう被害に遭わないとは限らないということも考えています。
実際、見ず知らずの人による「良かれと思って」の行動により怖い思いをしたことなら何回かありますし。
それを踏まえた上でお読みください。

外を歩いてる時に暴言、暴力、勧誘に遭ったことがない

私は、1人で歩いている時に通り魔的な嫌がらせや怪しい宗教・キャッチセールスの勧誘にはまだ遭ったことがありません。
私がもし、体格の良い男性だったり、強そうに見える外見だったりすればそんなことする気も起きないだろうけど、
小柄な女性で、外を歩く時は白杖が必要な視覚障害者という、一般的に「厄介な人」に狙われやすい特徴をいくつも持っているにもかかわらず、です。
それに、見た目が弱々しく怒らないと思われてるのか、うっかりしてると人間関係の中でなめられやすい人です。

障害を持つ友人知人(特に女性)からは、見ず知らずの人に酷いことを言われたとか、悪意とは違うけどいきなり宗教の勧誘をされて断るのが大変だったとか、そういう話はよく聞くので、
私は1人で歩く頻度が少ないからだろうな、と以前は考えていました。

でも、A型事業所で働いて歩行訓練を受けて、5年くらい前から1人で出歩く頻度が増えても明らかな悪意による嫌がらせや、不幸と決めつけてくる勧誘には遭ったことはありませんでした。
コロナ禍になる前に、人混みの中を歩いて、年末年始とゴールデンウィークにひどい風邪をもらったことならありますが(笑)

被害の話を聞くたびに、嫌がらせをする通り魔は海か山か無人島に捨てられれば良いのにと思うと同時に、
「同じ属性、似た特徴を持った人で攻撃されやすい人とそうじゃない人がいるのはなぜだろう? どうして私は、今まで大丈夫だったんだろう?」
とずっと考えていました。

私に何かしたら、白杖をお尻に刺してきそうな狂気が滲み出てるとか?
後ろに禍々しい霊がついてるとか?
そもそも存在感がなさすぎて目に入ってないとか?

という冗談はさておき、いくつか思い当たることがありました。

1、堂々としている

私は外出時は白杖を持っていて目は開いてないように見えるので一目で障害者だとわかるのですが、「周囲の人からどう見られてるだろう?」「ジロジロ見られていたら嫌だなぁ」ということは、考えないようにしています。
また、歩く時は好きな服を着て背筋を伸ばして歩き、人と話す時はなるべく落ち着いてハキハキ話し、場合によっては愛想良くしすぎないようにしています。

交通事故などの危険を避けるには周囲の人の見守りが不可欠と考えていて、その中に好奇の目が混じっていても仕方ない、と思っています。
(もちろん、障害者を好奇の目で見ない社会にしていく必要はあるけど)

別の言い方をすれば開き直っているとも言えますね。
学校や会社で障害がない人と接する時も同じ。
まだまだ差別もなくならないから努力して「世の中の普通」になろうと考えがちだけど、いちいち迷惑じゃないか、変じゃないか、と気にしてたら身がもたないからある程度の開き直りは必要と考えます。
そうだと分かってはいても考えてしまう時は、そんな自分も「仕方ないじゃん。人間だから」と開き直って受け入れる。

また、私は通りすがりではなく身近な人間関係の中で「変な人」(しつこそうな人や、付き合ったらモラハラしてきそうな人)に好かれやすかったり、子供の時は学校の一部の先生から何を言っても良い子供だと思われていた節があったので、歳を重ねる中で本来はなめられやすい性質だと自覚しました。
たまたま、1人で歩く必要が出てきたのが自覚した後だったことも幸いしたかもしれません。

2、歩くことに集中している

もしかしたら私も「うわー障害者だー」みたいな感じでヒソヒソされてるかもしれないけど、直接聞いた覚えがないのは歩くことに集中してて周りが話してる内容なんて耳に届いてないからじゃないかと考えます。
歩く時に必要な情報は、車の音、信号の音、地面や建物の色、お店の音楽、食べ物の匂い、人の気配、足音、ザワザワした「音」としての人の話し声など。
必要がない情報を受け取る余裕がないんだと思います。
でも、もしも立ち止まってる時にふっと耳に入ってきたら良い気分はしないですね。

3、心に、小さな中島みゆきを住まわせている

1番目、2番目に書いたことは、持って生まれた性格や育った時代、置かれた環境も関係しているから人によって難しいかもしれません。
でも、この方法ならやりやすいかも?

Twitterを見てるとたまに、生きやすくする精神論として「自分の心に小さな○○を住まわせよう」というツイートが流れてきます。
この○○は、アニメキャラや個性が強い有名人や、ギャル、ヤンキーだったりします。

私の場合はそれが中島みゆきさんなんです。
この記事のタイトルの○○は、中島みゆき!
恋人とひどい別れ方をしたら道に倒れて誰かの名前を呼ぶし、
1人の人間を船の船長に例えて「お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな!」って叫んでみたりもする。

あの歌声や歌詞、繊細さも含んでるけどとにかく「生きることへの執念」を感じる。

みんなお手本にしたい人や、自分が強い・最強と思える人を心に住まわせるようにしたら、生命力を分けてもらえるんじゃないかと思ったりします。

そうそう。
通り魔はウイルスやバイ菌みたいなもんって最初の方に書いたけど、あれは人間の細胞が擬人化されたアニメの「はたらく細胞」を見てて思いました。
心に、擬人化された白血球さんやキラーTを住まわせるのもありかも。
(心の中で)「抗原発見!」って言ってやっつけちゃえ。

まとめ

これまでに、外を歩いていて理不尽な攻撃や厄介な勧誘を受けたことがない理由について考えてみました。

1、堂々としている
2、歩くのに集中していて周りの話が耳に入らない
3、心に小さな中島みゆきを住まわせている

運が良かったといえばそうかもしれませんが、今後もできればそういう目には遭いたくないし「自分も気をつける」という意味も込めて言語化しました。

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