私の右目、いろんな思い

久しぶりのブログの投稿です。
実は2週間前、眼科検診で片方の目の状態が悪くなってることがわかりました。
(この文章は、音声読み上げソフトとキーボードを使って書いています)

私は左目はほんの少しだけ視力があって、右目はぼんやりと光を感じるのですが、今回悪くなっていたのは右目の方でした。

小さい時から診てもらっている大きな病院の先生からは、眼圧が高くなり、強膜 (白目の部分) が溶けて薄くなっていると伝えられました。
強膜が破れると眼球が破裂してしまうそうです。
定期検査を受けた時点での自覚症状は、ものもらいみたいに少し痛痒いという感じだったのでそんな酷い状態とは思ってませんでした。

普通の目 (ここでは、わかりやすくするためにそういう言い方をします) の場合は膜を補強する手術をやる場合もあるのですが、私の目は生まれつき弱い作りになっていて補強する手術に耐えられない可能性が高いとのこと。
悪化して激痛が出たり、本当に破裂してしまったら眼球摘出になるそうです。
私の目を検査していた主治医も「この前見た時は今までと変わりなしだったのに」と、驚いていました。

この話を聞いた時は、ショックで血の気が引いて倒れそうになりました。
でも、病院の長椅子で少しの間休ませてもらって、落ち着いてからは冷静に考えることができました。

見えない方の目だったのが不幸中の幸い。
考えてみたら私の友達は子供の時に目の手術をした子や、弱視から全盲になった子もたくさんいるじゃないか。
むしろ、生まれてから30年間、急激に悪くならないで現状維持できていた私みたいな人の方が珍しいんだ。
それに、目が悪化した友達も、いろいろあるだろうけどみんな元気に生きてるから大丈夫。
もし片目義眼になったら、瞳の色は選ばせてもらえたらいいな。左目も変わった色してるし。

そんな風に考えることにしました。
それでもやっぱり、何回かは自室で1人の時に泣きました。
もともと見えない方の目とはいえ、摘出は悲しいし普通に怖いから。

今は、痒みは治ったけどときどき右目の奥が軽く痛みます。
ご飯を食べたり歩いたり買い物に行ったり、そういう日常生活はまだ送れているけど、やっぱりおかしいんだと実感してます。

そういう事情でいろいろ考える時間が増えたことで、子供の時のこともいろいろ思い出すわけなんですよ。
時々、友達が入院してたなとか、AさんやBさんが義眼を使っていたのはどんな病気が原因だったのかなとか。

すごく失礼で酷い考えだけど入院して周りの大人から心配される人達がほんのちょっと羨ましかったな、でも私はそんなことを思えてたってことはやっぱり盲学校の中では元気な方だったんだ、とか。

私は、心臓に小さな穴が開いていてしょっちゅう風邪をこじらせて休んだりしてたし決して体は丈夫ではなかったけど、入院や手術をするほどではなかったから一部の人達からは本当は元気なのに怠けてるとか、親が過保護なのがいけないと思われてたみたいです。

だから、見えない障害を持ってる人が見える障害を持ってる人を羨ましいと思ってしまうとか、体が丈夫な人が体が弱い人を羨ましいと思ってしまうとか、人間は同情されたい気分になる時もあるって少しはわかるんです。
ただ、実際その状況に置かれてる当事者を捕まえて八つ当たりしても何にもならないよ、と思います。
外から見てわかりやすくないと助けてもらえない、休ませてもらえないっていう社会の構造とか空気がおかしいんだから。

もし今、私のこの状況を羨ましいと言う人が現れたら「代われるもんなら代わってほしい。でも、あなたもそれだけ大変なんだね」って言うかな。

話が逸れました。
運が良ければこのまま持ち堪えて右目を取らないで生きるかもしれないけど、とりあえず今は「30年間よく頑張ったね、ありがとう」って自分の目を労ってあげたいと思います。

コメント