働いていた会社の社長、上司がときどき言っていた言葉。
それから、精神論の本なんかでもよく書かれている言葉。
一歩間違えば、人をいいようにこき使うのに利用できそうな言葉。
それは「まず与えることから」。
これって、なんなんだろう?
まず与える?
与えるって、自分に余裕がないとできないことなんじゃない?
結局会社って利益を得ないといけない仕組みだから、与えるばっかりじゃ回らないんじゃない?
料金に見合わない過剰なサービスを求めるお客とかが寄ってくるんじゃない?
個人でも、依存的な人、支配的な人が寄ってきていいように使われるんじゃない?
与えすぎたら最後は倒れてしまうんじゃない?
という疑いが拭えない。
でも、自分がしたことで誰かに喜んでもらえた時は確かに嬉しい。
特に意識せずに自然に「与える」ができれば一番いいのかな。
2年くらい前は、それが自然にできていたかもしれない。
そう思うのは、その頃の自分の気持ちも良かったし、周りの人もなんだか楽しそうにしていたから。
今は、「もっとくれ!もっとくれ!!」になってしまってる。
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仕事でもっと褒めて欲しかった
心身の調子が悪いのをもうちょっと気にかけて欲しかった
・・・ていうか、求めることって悪いことなの?
上司(会社)も、余裕がなくなると「もっとくれ」になっていたように見えたし。
求めることの善悪はさておき、求めたものが返ってこないのは心地よくない。
私が、もっと欲しい!状態になったから周りがそう見えたのか、
周りがもっと欲しい!っていう空気になったから私に伝染したのか。
たまごが先か、ニワトリが先か。
たぶん、どっちもなんだろうな。
結構苦しい状況だったにもかかわらず、退社するときに
「もえちゃんからパワーもらってました」
って言ってくれた人がいて、特にそう言われるように意識して行動してた訳ではなかったから驚いた。
特に最近は、電池切れ寸前で、人に与えるなんて全然できてなかったと思ってた。
まず与えるとうまくいく、って何だろう。
それを提唱する人たちに言わせると、少なくとも「奪われる」、「貢ぐ」とは違うわけよね。
苦しまず、無意識にできれば最高だよね。
「まず与える」の相手が誰でもいいなら、とりあえずまずは自分に与えてみるのもアリ?
楽しい気持ち、嬉しい気持ちを。
そうするために、長い充電期間に入ったのかもしれない。
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