この間、孝ちゃんのパパさんにブログを紹介していただいて、たくさんの方に記事を読んでもらって、
すごく嬉しかったのですが、同時にいろいろ考えました。
それは、障害の捉え方についてです。
私の中でもまだまとまっていないのですが、まとまっていないなりの思いを書きます。
きっと伝わると信じています。
先に謝っておきます。
もしも、私がこれから書くことでみなさんに不快な思いをさせてしまったらすみません。
みなさんの反応を見ていると、
「障害があるのに頑張っているなんて、すごいなー」
「目が見えないなんて、大変そう」
という反応が目立ちました。
「目が見えなくて可哀想なのに」
って言うニュアンスも含んでいるように感じました。
きっと、孝ちゃんのパパさんたちに限らず、これが障害者とあまり接したことがない人の率直な思いなんだと思います。
そして、ある日突然目が見えなくなったとか、
弱視から全盲になったり、途中で視覚障害を持って今までできていたことができなくなった場合などは、目が見えないこと自体を不幸だと感じることもあるかもしれません。
でも、それも見えない状態に慣れて来て、いろんなことができるようになって来たら変わってくるし、同情されるのって複雑です。
私は、生まれつき目が見えづらいので、目が悪いこと自体が不幸だとは思っていません。
たぶん、この状態しか知らないからだと思います。
でも、だからって「障害は個性」と完全に開き直れているわけではなく、
見えづらいことで起こるさまざまな不便や生きづらさは障害だと思っています。
私は目が悪いだけではなく要領もあまり良くないので何かができるようになるのも時間がかかるし、否が応でも工夫する場面も多くなるのですが、
それを「障害を乗り越えている」、「障害があるのに頑張っている」という言われ方をすると、変な気分なんです。
能天気な話ばかり書いている私が言うのもなんですが(^_^;)
世の中、私より頑張ってる人なんてごまんといます。
素直に受け取れず、ごめんなさい。
私、基本的に褒められるのは大好きだし(笑)、
時には「可哀想なのに」っていう評価に
「ま、いっか」って甘えている部分もあるので全否定はできませんが・・・。
中には「障害があるのに」っていう評価を本当に嫌がっていたり、深く悩んでいる人もいます。
でも、目が見えなくて可哀想な身の上なのにっていう見方をしてしまう人が多いのは、その人達のせいではないことも理解しています。
実際私たちが社会の中で困っているのを目の当たりにしている訳だし、
メディアでは「障害を乗り越えて~」とか、「辛くても健気に立ち向かっている」みたいな取り上げ方か、
それでなければ有名大学卒で極端に前向きで、障害をネタに笑いもとるし人並み以上にスキャンダルもあるし、みたいな人を持ち上げてみたり、
どっちにしろ極端な取り上げられ方が目立つから、仕方ない面もあると思います。
だからこそ、今回はこのモヤモヤした気持ちも書いてみました。
こんなこと書いたら、せっかく応援してくれている方の心に水をさすようで申し訳ないのですが、
逆にチャンスだと捉えることにしました。
この記事へのコメント
よっしゃ~(笑)
もえさんの姿も見えないんだから
これからは普通のブロガーとして接して行きま~す!
ここは大阪の繁華街なのでいろんな人が通り過ぎます。
確かに障害を持った人もたくさん・・・・・
でも同情という感情はあまり感じたことはありません。
足が悪くて車を押して頑張っている年配の方とか
人に頼らずにいる人を見ると畏敬の念が湧いています。
その姿からは自分の不甲斐なさをたしなめられているような
そんな気がするような気がします。
決して同情はしませんよ。
そのような人と出会ったら僕が一番に思うことは
医学が進歩して少しでもその不便さが無くなって欲しい!
そんなことばかりを考えています。
ということで、
これからは日常のいろんな出来事をメインで書いてくださいね。
時々、身体的な不具合も。
僕を訪れてくださるブロガーさんたちには
精神的な病を抱えたかたも何人かいらっしゃいます。
時々、突っ込んだコメントを書いてしまいますが
普通のお付き合いに発展しています。
なんか変なことを書いてしまったような気がしますが
これからもよろしくね!
2018-03-02 02:55 孝ちゃんのパパ
こんにちは~。
孝ちゃんのパパさんのご紹介からこちらにうかがった者です。身近に視覚障害の人はいないので、興味深く記事拝見しています。
私は10年前に離婚したシングルマザーで、そのことを知った時の知り合いは、大変だね、がんばってね、というのが通り一遍の反応なんですが、時々
まあうちも家庭内離婚の状態だし、似たようなもんだよね
とか
うちも夫とは不仲だし、熟年離婚すると思うわ
とか言う人がいます。
「わかるわ~」的な、「私も同じよ」的な顔をして、そう言うことが慰めになると思っているのが不思議でした。
腹が立つとかムカッとするとかではないんですが、ただ不思議で。
もえさんの今日の記事と関係あるのかないのかわかりませんが、ちょっと思い出したので書いてみました。
2018-03-02 08:06 ぢょん でんばあ
孝ちゃんのパパさんへ
記事、お読みいただき、そして真摯にお返事してくださり、ありがとうございます。
日常の中で、障害を持っている人と関わる機会もあるのですね。
「あまり関わったことないでしょう?」みたいな、決めつけたような書き方をしてしまい、すみません。
決して不甲斐なくなんてないですよ!
そんなふうに、困っている人に意識を向けて助けられるなんて、素敵です。
そうですね。
もちろん、医学やITの進歩にも期待したいところですが、
社会の仕組みや人の意識が柔軟になって、
病気や障害が治っても治らなくても幸せに生きられるっていうのが理想かな、と
私は思ってます。
あ、ツッコミはお手柔らかに!!
これからも見守っていてください。
2018-03-03 15:47 もえ
ぢょん でんばあさん
ご訪問とコメント、ありがとうございます!
うーん、確かに、そういう人いますね。
私の場合だと目が見えにくいから
「私も眼鏡とったら何も見えないしー」
っていう人がいたりします。
あからさまに同情したら怒られそうだしなんて言えばいいんだろう?
って考えた末のその人達なりの共感の仕方なのかな?
と思ったりします。
それか、便乗して自分の愚痴にすり替えてるか??
真相はわかりませんが、不思議ですよね。
2018-03-03 15:59 もえ
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