体力も戻ってきて歩きたい気分になったので、最近は目の手術をする前みたいにゆいレールを利用しながら家の周りと那覇の中心街を散歩しています。
1人で外を歩くと自然と周りを歩いてる知らない人たちとの交流も増えて、関わり方やかけられる言葉などについて思い返すようになりました。
これから書くことは私の感覚に基づいて書いてるので、「違うけどなぁ」と思う方がいたらすみません。先におことわりしておきます。
知らない方からの介助の申し出を受けたり、こちらから道案内、誘導をお願いしたりした時。
去り際に言葉をかけていく方が多いのですが、「頑張ってね」よりは「気をつけてね」のほうが嬉しいです😃
もちろん、その場を立ち去ることを一言伝えてその後は特に何も言わないと言うのでもサッパリしててやりやすいです。
「頑張ってね」「頑張ってくださいね」という言葉も、特に深い意味はないんだろうし、言われることがめちゃくちゃ多いからあまり気にしないようにしてます。
暴言よりはよほどマシだし。
でも嬉しいのは「気をつけてね」、「お気をつけて」という言葉。
こっちの言葉の方が暖かくなります。
「頑張ってね」は、「障害あって大変だね。まあ頑張れ」みたいな感じで、「気をつけてね」は「歩きにくいだろうけど、トラブルなく家に帰れますように」って、寄り添ってる感じがします。
この言葉を自然にかけられる人はもしかして、ホームの転落事故のことや、歩きスマホの人と白杖使用者がぶつかる事故についてのニュースを見て気にしてくれてる方なのでは?と想像します。
それに「気をつけてね」って言葉は障害者以外にも気持ちが伝わりやすいと思うんです。
今、体が健康な人でも事故に遭う可能性はあるし、最近だと感染症にかかって、その後心身に不調をきたす人も増えています。
だから「頑張ってね」よりも優しいし、相手を選ばない言葉だと思うんです。
誘導してもらってる時のやり取りや、本人が置かれた状況次第では「頑張ってね」という言葉で元気が出ることもあるかもしれないけど…。
「頑張ってね」という言葉は、なんでこんなに障害者にかける言葉として無難だと思われてるんだろう…?と考えると、社会の仕組みだったり障害がない人の意識に刷り込まれてることが関係してるのかな、と思います。
「障害者は頑張らないと仲間に入れてもらえない。でもこっち側ではどうにもできないから、まあ頑張れ」
みたいな…。
実際、体の状態が大多数と違う人が世の中に合わせるって面倒なことも多いので、無意識のうちに頑張ってると思います。
だからこそ、「一体、何を頑張れば!」、「ただちょっと外に出るだけで頑張らなきゃいけないの? できれば頑張らないでぼけーっと歩きたいよ」って思うこともある。
「頑張ってね」って言われた時の微妙な気持ちを言語化するとそんな感じです。
この間、おもろまちに買い物に出掛けて帰りの混み合った電車の中で席を譲ってもらって、譲ってくれた人が降りて行く時に「気をつけてね」と穏やかな声で言ってくれたのがちょっとウルッときて、こういうことを考えました😊
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