私は、幼稚園から高校卒業まで、14年間を盲学校で過ごしてきたのですが、
今思い返すと、盲学校で出会った人達にはすごく鍛えられたし、いろんなことを教えられました。
これからここに書くことは、人によっては不快になる部分もあるかもしれないけど、昔こんな子供がいて、今はこんな大人に育ったことを誰かに知ってほしいので、まとめてみることにしました。
幼稚部
4歳の時に入園した幼稚部には、年が違うクラスメートがいたけど、その子達は私とは勉強する内容が違っていて、私は朝の会・帰りの会・給食時間以外は担当の先生と一対一で過ごした。
文字の練習も先生と二人なら、校内を散歩するときも二人。
休み時間に小学部の子が遊びに来てくれたり、教育相談で地域の幼稚園や保育園に通う子が来るのがすごく楽しみだった。
でも、幼稚部の担当のN先生はとても優しくて面白い人だったので、寂しくても楽しく過ごせていた。
大人になってからN先生と会って話をして、N先生が幼い頃の私を否定しないでいてくれたおかげで、今自尊心を持てているのかもしれないと思った。
母の話によると、お子さんが一時期体を患ったりして、N先生も苦労されていたらしい。
そういうこともあって、しょっちゅう休んでいた私のことも可愛がってくれていたのかもしれない。
小学部
小学部に上がると、初めて同級生の友達ができた。
2人学級だったけど、クラスメイトができて嬉しかった。
でも、学年が上がるにつれ、何人かの先生方がクラスメイトと自分を比較していることに気付いた。
おまけに、要領も悪かったため調理実習や行事の準備など、学部全体で何かをする時は手持ち無沙汰になっていて、そういう時は生徒の中にいても居心地が悪かった。
きっと「やればできるんだからもう少し頑張ってほしい」っていう先生なりの気持ちもあったのかもしれないし、友達は何も手伝わない私に対してイライラしていたかもしれない。
どんなことがあったのかは、はっきりと思い出せないけど、悲しかった、寂しかった感情は残っている。
幼い時から劣等感に慣れていたためか、就職活動でつまずいて悔しい思いをしても「まあ、視覚障害者の中でも仕事を探すの大変だったし、こんなもんか」と冷めている自分もいた。
もしかしたらそのおかげで、比較的早く「就職が難しくても、とりあえず引きこもらないようにしよう」と頭の切り替えができたのかもしれない。
中学部・高等部
中学2年生の時、ずっと2人だったクラスに転校生がやってきた、
その後、中3で1人、高等部で2人転校生が来て、私の学年は最終的に5人学級になった。
(小学生の時一緒だったクラスメイトは、高校からは別のところに進学した)
人数が増えて、賑やかで楽しい反面、新たな人間関係の悩みに直面した。
転校してきた生徒たちの、
「こんなところ(盲学校)来たくなかったのに」
「目が見えなくなったらお先真っ暗」
というような愚痴をたびたび聞くのが辛かった。
もちろん、誰が悪いわけじゃない。
彼らも、急に目が見えにくくなって、普通学校では充分なサポートが受けられなくて望まない転校を余儀なくされて辛かったことは想像できた。
でも、私だって辛かった。
ずっと自分が育ってきた場所を否定されたような気持ちになったし、「途中まで地域の友達と学ぶ選択肢があっただけマシじゃないの?」とも思っていた。
(そう考えたのは、選択肢以前に「そもそも、もえが学校に行けるかどうかすら分からなかった」という話を親から聞かされていたこともあると思う)
ずっと盲学校にいた自分は馬鹿にされてるような気さえしていた。
でも、見えなくなる現実と戦っている友達を目の前にそんな本音を言えるわけもなく。
いい子ぶっていても心はドロドロ。私はそんな子供だった。
まとめ
出会いが少ない学校とはいえ、小中高の時に出会った友達と一緒に過ごす中で、私なりに人間関係に悩んだり、悔しい思いもたくさんしてきました。
でも、彼らとは今でもたまに連絡を取り合ったりするし、なんだかんだ言っても好きです。
そして、いろんな先生や友達との出会いがあったから、
「視覚障害者の中の自分」、「健常者の中の自分」、「障害者の中の自分」と、いろんな角度から自分を見られるようになったんだと思います。
もちろん居心地のいい環境に巡り会えたこともあるけど、今人間関係であまり悩まないでいられるのは、盲学校での出会いがあったからだと思っています。
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